プラスなブログ

京都市伏見の不動産会社プラスホームのブログ。地域の話題と不動産の話。

果たして自分が生まれたことにどんな意味があるのか

 京都伏見の不動産会社プラスホームかやまです。

 今日は少しまじめな話を書きたいと思います。昨日、海老蔵さんの会見がありました。それについては本人が察してくださいと言っている以上関係のない私がとやかく言うことはありません。


 ただ、人はいつその命に終わりがやってくるのかはわかりません。ということを改めて痛感しました。普段、なんとなく生きていると、永遠に生きているのではないかと錯覚してしまいます。でもかならずそのときはやってきます。

 私もずっとなんとなく生きてきました。それは結婚し、子供が生まれ、守るべきものができても変わりませんでした。もちろん、それなりに一生懸命がんばっているつもりでしたし、家族に何か残せるように頑張ろう、そんな気持ちでそれなりに頑張っているつもりでした。

 つもりだったのです。


 ところが、東北の大震災が起こりました。それ自体は、私も京都で生まれ、育っていましたので阪神大震災を経験しています。自分自身に被害は全くなかったのですが友人の家が半壊だったり、友人の友人は家族を亡くしたりという経験もしていました。
 ただ、どこか現実離れというか遠い出来事のようにも思えていたのです。実際に阪神大震災のときは近くの出来事であったにもかかわらず、何もできませんでしたし被災地に行くことすらできませんでした。

 東北の震災が起こった一年ほど経った後、機会があって現地にいくことができました。仙台空港を降り、何も無い状況に愕然とし、海沿いを走ると、どこまでも何もない状況、たまに、鉄骨がむき出しになった建物が残っており、道路などの修復作業も中途半端にほったらかされていたりしている状況でした。現地の方はみな明るく「こんな街に来てくれただけで感謝です」と前向きに頑張っておられました。

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松島の海は変わらずきれいな景色でした。



 でも私はこの状況を見て愕然とし、何も言うことは出来ませんでした。ただ、夜帰って一人ホテルの部屋で考え、ひとつだけ、決意したことがあります。
 「人はいつその命が尽きるか分からない。おそらくいつ尽きても絶対に後悔するだろう。でも少しでも家族に何か残したい。ひとりでも多くの人に感謝されたい。」

 そんな決意を抱きました。私が出来ることなんてたかがしれてると思いますし、何も出来ないで終わるかもしれません。でも何かせずに終わるのはイヤだと思ったんです。
 自分で会社を立ち上げ自分を経て家を買ってもらい、少しでも多くの方に幸せになってもらうことができれば素晴らしい。自分がいなくなっても自分が関わることの出来た幸せな家族が街にたくさんいるというのは素敵なことじゃないかと思ったのです。


 昨日、海老蔵さんの会見を見て、正直、どちらも無念だっただろうと思いました。自分もいつかそのときを迎えたとき必ず、後悔すると思います。でも、後悔するんだから何をやっても一緒と思ってしまっては生まれたことに意味がない。大した事は出来ないかもしれない、偉そうに言うのはただの傲慢かもしれません、誰も幸せにすることなんてできないかもしれない。でもせっかく生まれてきたんだから誰かに幸せですと言ってもらいたいし、それこそが人が生まれてきた意味なのではないかと思ってます。



今日もご覧頂き誠にありがとうございます。
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